さようなら EOS 1DXⅡ

昨日、キヤノンのEOS 1DXⅡをドナドナした。

はじめてのフルサイズ1眼レフ機であり、はじめてのキヤノン機であって、これまで所有した中で一番思い入れの深い機材だった。

3年間本当にありがとう。

購入した動機は、動き回る子供たちを何とかきれいにとりたい、シャッタースピードをかせげない室内で何とか子供たちの表情をノイズなく捉えたい、というパパカメラマンとしてはありきたりのもので、そこからいきなりフラッグシップ機にとびつくというのは、ちょっとやりすぎだというのは、自分でもわかっていた。

カメラを購入する際、上級者やプロは必ず言う。「最初はダブルレンズキットから入って、物足りなくなってから単焦点レンズや上級機種を狙うと良い」と。

そう、常識的にはそのとおり、変に上級機種を初心者が購入してみたものの、数ヶ月で使いこなせず手放してしまっては、腕も取れ高も上がらず、高額な出費だけがかさみ意味がないからだ。

しかし、当時の私は写真を撮るという行為(アマチュアであるからそれはどこまで行っても趣味に過ぎない)がパパとしての義務の遂行にとどまらず、これから自分が一生関わる、大げさに言えば新たな表現手段になるという予感があった。

むしろ中途半端な物を選んで、あとから「ああワンランク上の○○を買えば、このシーンはうまく撮れたのではないか」などと後悔するのを恐れた。

幸い、カメラ機材というのは、日常の出費からすると高額ではあるものの、他の趣味の世界に比べてさほど突出した出費を強いられるものでもない。興味のない人から見れば10万円のレンズなんていうと「エー?」と驚かれるが、車の世界ではパーツ交換もできない額だろう。

だから躊躇なくフラッグシップ機としてニコンのD5かキヤノンの1DXⅡにしようと決めた。

行きつけのカメラ屋さんというのもなかったので、アマゾンで価格を調べると、当時は熊本地震の影響で各社(特にニコン)の機材が払底していた。

自分はどちらかというと質実剛健タイプのカメラがいいと思っていたので、どちらかといえばニコンのD5に傾いていたのだけど、その日のアマゾンには1点しか在庫がなかった。

昼休みに金額などを確認し、仕事が終わってから注文しようと考えていたら、帰りの電車内で確認するともう売り切れていた。

うーん、まあ縁がなかったか。と諦め、1DXⅡを注文した(キヤノンさんごめんなさい)。

で、その日のTwitterにユーチューバーKAZUYA氏の「D5買ったぜ」というつぶやきがあった。

まあ、(確認は取れていないけど・・)KAZUYA氏の手に渡ったんならいいかと思った(実はファンなのです)。

やってきた1DXⅡは、それはそれは素晴らしいもので、車を初めて買ったときより興奮した。夜中にふと目が覚めてじっと眺めたりしていた(キモいですね)。

カメラを始めて間もないド素人ではあったものの、撮れた写真は十分に満足のいくものだった(言い方が良くないな。撮らせてもらえた)

f:id:paurotomasu:20190811013404j:plain

初心者が高い機材を買うと、使いこなせずに写真自体に興味を失ってしまうというのは、私にとっては、当てはまらなかった。

子供たちの発表会、音楽会、運動会、ディズニーもろもろが楽しみになった。

サブ機も買った。散歩スナップもするようになった。

三脚やストロボやフィルターも買った。

撮影テクニックも勉強した。

そして、3年が過ぎて気がついた。

やっぱり、この機材は自分にはもったいない(^_^)

剛性、ピントの正確さ、十分な解像、色のりのよさ、高感度耐性・・・

どれをとっても文句のつけようがない。(欠点はただでかい、重いということだけ)

しかし、自分は普通の勤め人である。こんなでっかい機材、普段は持ち運べない。使わない。日曜日、それも年に数度の子供の行事にしか使われない(撮影旅行とか、考えてみることもあるが、それは子供たちが親以外と遊びたくなる頃、数年先のことだ)。

そんな機材が普段は防湿庫にしまわれ、その機材でしかとれない写真は年に数回、50枚程度なのだ。

その数少ない機会のひとつである運動会も、実際には秒間12連射などいらない。5、6連射もあれば十分だ。EOS 80Dかその後継機種でいいと思う。

(あと、自分の腕も少し上がった(^^;)・・・あくまで当社比ですが)

というわけで、不満の全くない1DXⅡとお別れすることにした。

大事に使ってきたので、通常使用によるグリップのわずかなすれはあっても、傷一つない。きれいなものだ。

写真もカメラも大事にする人の手に渡ってほしいな。

さようなら EOS 1DXⅡ ありがとう。