「ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて」(鹿島茂著)を読んだ。

いやおもしろかった。鹿島先生の本はそもそもはずれがないんだけれど、この本はマイベスト。

一部の知識人、マニアックな学生さん、遙か昔にちょっと文学に興味をもっていたおじさんなどにいまだ根強い人気のある小林秀雄を俎上にあげ、文学、人口学、人類学、社会学の知見を駆使しつつ、なぜ小林秀雄は難解か、なぜ小林秀雄は凄いか、なぜ小林秀雄はダメか、その凄さやダメさの理由はどこから来るのかを論じきった快作です。

実はこの本は、ドーダの近代史、ドーダの文学史につづく三作目の論考なのだそうですが、ただひとりの希有な批評家小林秀雄をテーマにしたこの本が一番、腑に落ちました。

「ドーダ」とは、漫画家の東海林さだおさんの提起された用語で、人間の表現行為はすべて「ドーダ、おれは(わたしは)すごいだろ、ドーダ、まいったか」という自己愛の表出であるとのこと

おお、となれば小林秀雄も人間である以上、当然に、いや鹿島先生の言によれば、選りすぐりの「ドーダのデパート」なのだそうで、そこからかの小林秀雄のわからなさの理由をずんずん探っていけるというわけです。

で、軽妙な語り口につられて「うん、わりあい楽ちん楽ちん」とページをめくると、小林秀雄だけではない、アーサー・シモンズ、河上徹太郎ヴァレリーなど、難解な文章の書き手がぞろぞろ現れ、早々に、ああこれは私が今までまったく理解できなかったひとたちだ~とめげそうになりますが、さすが鹿島先生、フランス文学初心者も的確にガイドしてくれます。

それにしても河上徹太郎は特別の扱いですね。

さながら先生は、小林秀雄の親友であり最大の理解者、河上徹太郎(平易ではないが明晰な文章の持ち主)という拡大鏡をもちいて、小林秀雄の謎を解明する名探偵

各章の構成も、外ドーダvs内ドーダ、S vs M、父vs子、コンスタティブvsパフォーマティブ、など魅力的な二項対立概念を足がかりに論を進めてくれるので、割合おつむがどんくさい人(私もそうだ)でも丁寧に読めばなんとかついていける。

読了後感じたこと、フランス文学すごい、語学はやっぱり丁寧にやるのが大切・・・実に貧相な感想ですみません(^^;)

それと思い出した、田中角栄元首相が生前、日経新聞の「私の履歴書」欄に登場していた当時、秘書の早坂茂三氏が「小林秀雄先生が(田中角栄氏の文章を)雑誌で褒めていましたよ」と伝えたところ、「その先生はえらい先生なのか」と聞かれて、「小林秀雄といえば、日本で一番の評論家です」と答えたとか・・・本書を読むと、小林秀雄の感想は決して政治家へのよいしょや、奇をてらった放言ではなく、本音だったんだろうと思います。・・・もちろん「おれは難解な詩や批評だけでなく、知識人が敬遠する政治家の半生を綴った新聞連載からもその真贋を見抜く眼をもっているんだよ」という「ドーダ」含みではあったでしょうが。