「天主実義」利瑪竇(平凡社東洋文庫)に学ぶ

正月休みを利用して天主実義を読みました。

著者の利瑪竇は、世界史で習ったマテオ・リッチで、フランシスコ・ザビエルの意志を継いで中国宣教に成功したイエズス会士です。

私も一カトリック信者なので、宣教の義務があるわけですが、これがまあ受洗して10年近くになるものの、実績ゼロです。妻や子どもたちにさえ福音の喜びを伝えられないという体たらく(>_<)

ここは宣教の先達マテオ・リッチによるカトリック東アジア宣教の基本文献であり、初期教理・問答集ともいえる本書にその方法論を学ぼうというわけです。

ただ、読み始めるとこの本、純粋に読み物としても十分おもしろいモノでした。

神学の袋小路まで踏み込む一歩手前のところでカトリック(普遍)の教えをわかりやすく説いています。

そしてその問答というのもとても戦略的で、儒教、仏教、道教の教えが社会に拮抗して広まっている中国社会の現状を冷静に見極め、統治者たる儒者(中士)に対し、仏教、道教のあやまりを排撃しつつ、儒教は真理に近いがあと一歩であるとして、カトリック宣教師(西士)がゆっくりと教えを説くスタイルです。

頭ごなしに説き伏せるのではなく、論理(もちろんそれはキリスト教の論理ではあるのですが)の積み重ねで相手の腑に落としていく。

 

(本書47ページから引用)

中士が言った「中国の有徳者(儒者)は仏・道の二教を強烈に排斥して、彼らを深く憎悪しています。」

西士が言った「憎悪するよりは、言葉で説得する方がよいことですし、言葉で説得するよりは、道理で分析する方がよいことです。」

 

このようなクールな宣教によって一定の広まりを見せつつも、清の雍正帝の時代には禁教の憂き目に遭ってしまうという歴史の現実を踏まえると、なんと宣教は難しいことなのか、慨嘆せずにはいられません。

それでもなお本書はいまだに現代的な意義を失っていない、カトリック信者必読の書といえると思います。