レーニン「国家と革命」(岩波文庫)を読んだ

共産主義社会批判の書、ザミャーチン「われら」を読んだつながりで、共産主義社会の総元締ともいえるウラジーミル・レーニンの「国家と革命」を読んだ。

薄い文庫本で、いつでも読めると思っていてこれまで積ん読だった(レーニンの崇拝者や反対者に限らず、やたら引用される本なので、なんとなく読んだような気になっていた)。

内容は、マルクスエンゲルスの論文、著作をとりあげながら、現在(20世紀初頭)の国家体制を分析しつつ、革命勢力と反革命勢力の思想闘争に決着をつけ、来たるべき共産主義社会における体制理論を固めるもの(ただし、体系書ではなく、個別の論文の寄せ集めといった感じ)。

左翼日和見主義者(議会制を通じて権力を徐々に手中に収めていくことをめざす勢力か?)への批判に最も多くのページが割かれている。次が無政府主義者批判。カウツキー批判、ベルンシュタイン批判と続き、その他のドイツ社会民主主義者たちへの批判も多数あるが、このあたりはさすがに社会思想の門外漢には敷居が高い。

まあ読んでみるとレーニンという人、あっけらからんと暴力を肯定している。寸分の疑いなく暴力を行使し、権力を奪取し、その暴力をプロレタリアートが独占することを最優先事項としている。

民主党政権時に、仙谷由人氏が自衛隊暴力装置と表現したが、左翼文献に精通している人からすると、ごく普通の感覚なのだろう。

で、門外漢からすると、レーニンが執拗に攻撃するカウツキーさんは、現在の日本共産党の思想に近いようにも見えるが、違うのかな。

しかし、深入りすると怖そう。十代か二十代でこの本を読んで入れあげたりしたら、そっちの道に進むのも無理ないか。

共感はしないが、思想の一貫性だけはあるので、やたら危険な本・・・読後感としては、そう、その情熱も含めて、マルチン・ルターの「キリスト者の自由」に近い。

この小冊子は、第7章で中断した形で出版されているが、それは1917年の十月革命レーニン自身が革命に身を投じていたかららしい(第1版のあとがきで「革命の経験」をやり遂げることは、それを書くことよりも愉快であり、有益である。とのこと)。